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わが生い立ち

幼少時代は信じられないほど貧しかった。

赤貧の暮らし

松島は日本三景の一つ。

しかし北に移動すれば貧民が肩を寄せ合う小さな町であった。

戦後間もない昭和23年に生れた。8人兄妹も下から3番目。

子供ができない理由から父の弟に養子に出された。気が付いたのは中学生のになってからだ。

相当に悩んだことを覚えている。

  • 家には水道がなかった。毎日山に水汲みにいく生活だった。

おとぎ話のようだが肉体的には非常にきつい。

  • 家族みんなで山に枯れ木拾いに行ったことを覚えている。子供ながらよく燃える木は知っていた。
  • 夜寝る前にあたまにDDTの粉末をかけられた、シラミ撲滅だが

発がん物質で製造・使用している禁止である。

  • 服がなく、石炭をいれる南京袋をくりぬいたものを被ったこともあった。人間の着るものではない。
  • くつは「たんぐつ(短靴)」というの、型にあめゴムをながしこんだ、通気性ゼロのひどいもの。

靴の中はネロネロだった。

  • 裏のかわで兄に手招きされたら。急に深みにはまった、目の前に見えるものはキラキラと光る小魚だった。

兄の葬儀に行った時にかわを見たが、護岸工事がされたようで

イメージは無くなった。

  • 誤ってぼっとん便所に片足を落として、うじ虫がふくらはぎを這いつくばっていたなあ。」ぎゃあ」と叫んで母ちゃんを呼んだ。
  • 屋根は杉の樹皮でおおい、石を載せた粗末なもの。

われは海の子  「わが なつかしき とまやなれ」

  • うさぎを飼っていた、ごちそうのためであるが小骨が多い」

うさぎの好きな草は子供でも分かっていた。

➉母ちゃんは山に小さな畑を作っていた。脇に小さな涌水が有り、黒いトカゲが住んでいた。トカゲが住んでいきれいである

  • 山に親戚がいた、チャボの争う闘鶏をよく見た。
  • ふろはまきでわかすので、母ちゃんは製材所に木っ端をもらいにりヤカーで行っていた。後ろ姿を泣きながら追いかけた光景が焼き付いている。
  • 町の中にはアメリカ軍がジープで走っていた、

チューインガムがほしくて追いかけまわしたな。

  • 毎日何を食べていたのだろう。恐らく姉たちは魚の缶詰工場で働いていたろうから、ひしゃげた不良品をもらえたのであろう。
  • 保育園に通っていた当時、朝転んで前歯を折った。

若い保母さんが来たことをおぼえている。

  • ある日、すぐ下の弟を連れて近所を散策していた時

地頭の家からうどんの匂いが漂って来て「ぺろ くで!(
うどんを食いたい)とぐずった。

おうちに帰ろうと兄はなだめた。

本当は自分が食べたかったのである。

すぐ下の弟は、バイク事故で頭が割れてわずか17歳で死んだ。

  • 上から3番目の姉は美人だったようで、当時のフランク永井にナンパされたと聞く、結局複数の男に慕われて。自ら命をたったと聞く。
  • すぐうえの兄は、トタンでふくアルバイトをくれた陽気な性格であったが、四十代で屋根からおちて、それ以来30年も病院にいたのである。今は墓の下だ、
  • 上から2ばんめの姉、穏やかな性格で常識人であった。晩年認知症になり、最後は免疫不全で病院で亡くなった。
  • 一番上の姉、浦和在住だった、大学のときのお世話になった。

2021年死去した。

  • 結局今は8人中3人が生きている。大学に行かせてもらえたのは

自分だけである

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